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大日本エロ本史
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 大日本エロ本史なんてエラそうな名前をつけましたけど、まあ、そんなごたいそうなもんじゃありません。インターネットで再評価されている裏本や、それにつれて研究の進んでいるビニ本はまだ陽が当たっているからいいとして、陽の当たらない自販機ポルノや、温泉場のエロ写真といった懐かしいアイテムを紹介するとともに、その時代背景までを考えようということです。といっても、ごく私的な考察になってしまいますが。
 今回は「ビニ本夜明け前」と題しまして、松尾書房の「下着と少女」シリーズを取り上げます。なお、こうした資料をお持ちのかたもいらっしゃると思いますので、ぜひ、ご連絡を。

 松尾書房の名は、劇画マニアのあいだでは意外にポピュラーだ。というのも、上村一夫や石井隆がいい仕事をしていた時代、彼らの活躍の場である劇画雑誌には、決まって松尾書房の「下着と少女」シリーズの広告が載っていたからだ。
 わたくし事にはなるが、僕は当時はヤングコミックの愛読者で、このページの地紋に使っているのは昭和52年の同誌の広告である。
 つまり、まだビニ本もなく、自販機ポルノもない時代、こうした通信販売の写真集がもっとも尖端を行く性描写だったのだ。
 通信販売のみでなくアダルト・ショップでも売られたものと考えられるが、それにしても5万部というのは突拍子もない部数であって、その後一世を風靡することとなる自販機ポルノの売れ筋雑誌でも5万部を越えたものはいくつもない。ましてビニ本や自販機写真集では2万部程度が限界だ。
 サイズはB5、ページ数は68と、その後の自販機ポルノ写真集の体裁に近いものがある。問題の中身は、今となってはおとなしいもので、当時は透けパンと呼んではいたが、これも多分に読者に透視能力を要求するようなシロモノだ。
 この15集では4人の女の子が脱いでいる。一人でもメインテーマになるような可愛い女の子ばかり4人も集めましたという惹句が書かれているが、これはオーバー、ホントに可愛いのは一人だけしかいない。
 なぜ、こういう造りになるかというと理由があって、まずはモデルの関係。実のところ女の子を騙すようにして強引に撮影することも多かった当時の業界、撮ってみるまでどんな女が来るのかわからない。必然的にムダな撮影を余儀なくされる。いちおう顔写真くらいは見てから撮影するのだが、すっぽかしは日常茶飯事。でも万事アバウトな世界ゆえ、あやしげな宣材写真一枚で美人だろうがブスだろうがどんどん撮る。
 どうせSMもカラミもない単発ゆえ、一人で68ページはもたないしね。
 モデルクラブでは真鍋って爺さんがいた。これまたあやしげな爺さんで、小汚ない写真を山ほど持っていて、新宿の清水とか聚楽とかの喫茶店をねじろに活躍していた。
 女が来ると、とりあえずひと安心。三愛にパンツを買いに走る。撮影は京王プラザホテルだったりするんだけど、おっと忘れてちゃいけない。チェックインする前にパンツの裏地をハサミで切り取っておかなきゃ。
 僕がエログラファーとなって素人女を脱がせるのはもう少しあとになるが、まあ、撮影ってのは、そんなもんだ。流れの大筋は変わらないはず。
 そうそう、茶髪のネーチャンとかだと無理矢理カツラかぶせてゴマかしたりしてね。とにかく来るまでは女のレベルはわからない、というのが撮影の常識だった。それでも新しい女がいい、というのも、業界の常識だ。
 ところでこの時代のほかの分野での成果はどうだったかというと、青年劇画誌のグラビアなどではもっとプロっぽい女がプロっぽいヌードを見せていた。松尾書房の通販本は、逆に素人っぽい普通の女の子が脱ぎ、しかも陰毛までが透けて見える(念力で?)というのがウリだったわけだ。
 悪口で言うならば、モデルも素人、カメラマンも素人、その初々しさが一種のドキュメンタリー効果をもたらしたと言えるかも。
 実はこの路線はメジャーにおける篠山紀信の激写シリーズに最も近いのだが、あっちはヘタウマみたいなもんで、実はモデルも美人だし、カメラマンの腕もいい。助手をやっていた某氏の話だと、ファインダーものぞかずに走るジープの荷台から馬に乗った女を撮って、ちゃんとハッセルのピントが合っていたそうで、エロ写真の素人っぽさとは比較にならないんだけどね。
 それにしてもエロというのは不思議なジャンルであって、今となってみるとくびれのないペチャパイの胴体やゲスっぽいパンツの大時代な透け具合がいかにも懐かしい。
 そんなわけで、まだビデオもない頃、生TVのピンクレディーやキャンディーズで慌ただしいオナニーをしていた世代の男たちにとって「下着と少女」というタイトルは魔法のように響くものがあるのだ。
文責/川本耕次

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